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札幌高等裁判所 昭和50年(行コ)3号 判決

控訴人

北海道郵便局長

平林宏次

右指定代理人

小林正明

外九名

被控訴人

後藤春男

被控訴人

渡部大二

右両名訴訟代理人

彦坂敏尚

外二名

主文

一  原判決中、被控訴人後藤春男に関する部分を取消す。

二  被控訴人後藤春男の請求を棄却する。

三  原判決中、被控訴人渡部大二に関する部分についての控訴人の控訴を棄却する。

四  訴訟費用は、第一、二審を通じ、控訴人と被控訴人後藤春男との間に生じた部分は被控訴人後藤春男の負担とし、控訴人と被控訴人渡部大二との間に生じた部分は控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

第一控訴人の本案前の抗弁について

被控訴人らがいずれも郵政事務官であつて、昭和四四年八月二日当時、被控訴人後藤春男(以下、「被控訴人後藤」という。)は北見国興部郵便局に、被控訴人渡部大二(以下、「被控訴人渡部」という。)は北見郵便局に、それぞれ勤務していたものであることは当事者間に争いがないから、被控訴人らは、右の当時、公共企業体等労働関係法(以下、「公労法」という。)二条一項二号イ所定の事業を行う国の経営する企業に勤務する一般職の国家公務員(以下、単に「現業公務員」という。)であつたものであるが、公労法二五条の五、四〇条三項、国家公務員法(以下「国公法」という。)九〇条、九二条の二等の規定を総合すると、国公法八二条に基づき、懲戒免職処分を受けた現業公務員は、それに対して不服があるときは、直ちに右処分に対する取消訴訟を提起することができると解するのが相当であり(最高裁昭和四九年七月一九日第二小法廷判決・民集二八巻五号八九七頁参照)、その者が国公法九〇条によつて人事院に対し行政不服審査法による適法な審査請求をした場合には、行政事件訴訟法一四条四項の規定により、その者については右取消訴訟の出訴期間は、右審査請求に対する裁決のあつたことを知つた日から起算されるものであり、右裁決が未だなされていないときは、その者はいつでも処分庁を被告として懲戒処分の取消訴訟を提起しうるものである。

ところで、控訴人北海道郵政局長が昭和四四年八月二日付で被控訴人後藤、同渡部の両名に対し、懲戒免職処分(以下「本件免職処分」という。)をしたこと、被控訴人後藤は昭和四四年八月三日、被控訴人渡部は同年同月二日に、それぞれ懲戒処分書の交付を受けて本件免職処分の通知を受けたこと、被控訴人らは、本件免職処分に対し昭和四四年九月三〇日人事院に審査請求の申立をしたこと、被控訴人らは、右審査請求に対する裁決がないので昭和四四年一一月二八日(右審査請求の日から未だ三箇月は経過していない日)に本訴を提起したこと、以上の事実はいずれも当事者間に争いがない(本訴提起の日は記録上も明らかである。)が、これによれば、本訴が適法なものであることは明らかである。

よつて、控訴人の本訴を不適法とする本案前の抗弁は失当である。

第二被控訴人後藤につき本件免職処分に付されるべき事由の存否

一被控訴人後藤の本件ストライキ執行責任

(一)  本件ストライキに至るまでの経緯と実施概況

左記1、3ないし6の事実はいずれも当事者間に争いなく、左記2の事実は〈証拠〉によつてこれを認めることができる。

1 全逓信労働組合(以下「全逓」という。)は、昭和四四年二月二二日(以下、単に月日のみを示すときは昭和四四年のそれを、日のみを示すときは昭和四四年四月のそれをいうものとする。)から三日間和歌山市において第四四回中央委員会を開催し、一万三〇〇〇円の賃金引き上げ、勤務時間短縮、合理化問題、簡易郵便局法の一部改正法案反対などを主要目標とした春闘方針案などを討議した。このなかで、賃金引き上げ闘争については、三月一杯自主交渉をつめたあと調停に持ち込み賃金確定を迫るため、一五日以降三段階にわたつてストライキを設定して郵政省を追い込み、ストライキの規模は時限ストライキから一日ストライキへの拡大を考えながら取り組んでいくとの方針を決定した。

2 全逓は、一〇日、第二三回全国戦術委員会を開催し、春闘の山場における具体的戦術を協議し、①一四日以降全国的に労働基準法三六条に規定する時間外労働に関する協定(以下「三六協定」という。)の締結を拒否すること、②一五日から三日間休暇戦術を実施すること、③一七日及び二四日には三時間ストを決行し、五月上旬には一日ストを構えることなどの戦術を決定した。

3 全逓中央本部は、右決定を受けて一二日に、「一四日以降、三六協定の締結拒否戦術に突入するとともに、平常能率の徹底、業務規制闘争を強化し、ストライキを含むいかなる戦術にも即応し得る態勢を確立すること」などを内容とする指令第二〇号を発出し、次いで一四日には、「一五日から三日間休暇戦術に突入すること、一七日別途指定する拠点においては三時間の時限ストに突入し得る態勢を確立すること」などを内容とする指令第二一号を発出し、更に一六日には、「一七日別途指定する局所において三時間の時限ストに突入すること」などを内容とする指令第二二号を発出した。

4 ところで、春闘において全逓が提出した諸要求については、中央において誠意をもつて団体交渉が行なわれていたものであり、特に春闘の主要求である賃金引き上げ問題については数次にわたり交渉を重ね、全逓が一四日指令第二一号を発出した時点では、当局は「今年度は客観状勢からみて、賃金を引き上げるよう努力したい」旨の意見を表明し、なお交渉継続中であつたのであるから、全逓があえてストライキを含む種々の違法な戦術を行使することは、公共の利益を無視した許しがたい行為というべきであつた。

このため労働大臣は、一四日、全逓など公共企業体等労働組合協議会加盟の労働組合がストライキ宣言を発表したことに対し、関係者の反省と自重を要望する談話を発表し、また、郵政大臣は全逓に対し書面をもつて「組合が計画しているストライキなどの戦術を即刻中止するよう申し入れるとともに、万一違法な事態の発生をみた場合は責任者、指導者はもちろんこれに関与したすべての職員に対し、処分をもつて臨まざるを得ない」との警告を行なつた。

しかし全逓は、右に述べた状況及び警告を無視し、一五日から一七日までの三日間、全国で二三〇〇人以上の組合員を休暇戦術に突入せしめ、また、一七日には全国二二の地方貯金局などにおいて約三二〇〇人の組合員を三時間の時限ストライキに参加せしめた。

5 全逓は、二一日、賃金引き上げ問題についての労使の自主交渉を打ち切り、公共企業体等労働委員会(以下「公労委」という。)に対し調停申請を行なつたので、賃金問題は同日以降公労委の調停委員会の場で論議されることとなつたが、全逓はみずから調停申請をしながら調停委員会が第一回目の事情聴取を行なつた当日である二二日に再度「二四日に半日ストライキに突入すること」などを内容とする指令第二三号を発出した。このため、河本郵政大臣は、翌二三日全逓の宝樹文彦中央執行委員長に対し、また浅見喜作札幌郵政局長は武田勇全逓北海道地方本部(以下「道本部」という。)執行委員長に対し、それぞれストライキを含む違法な戦術の実施を即刻中止すべき旨、及び万一違法な事態の発生をみた場合には厳正な処分をもつて臨む旨の警告を発した。

更に二三日右指令によるストライキ拠点局が北見、士別両郵便局であることが判明したため、北見郵便局長は、同日午前八時ころ、北見郵便局長名をもつて同局職員に対し、違法なストライキには絶対参加すべきでない旨、及びストライキに参加した場合は厳重なる処分を行なう旨を記載した「職員に対する警告書」を同局通用口正面壁に掲示するとともに、同局管理者らをして所属職員に対し個別に二四日のストライキには参加しないで出勤するよう周知徹底せしめ、午後四時すぎには北見郵便局長の書面をもつて、全逓北見地方支部(以下「北見支部」ということがある。)及び被控訴人後藤同支部執行委員長らに対し、ストライキを含む違法な戦術の実施を即刻中止するよう厳重に申し入れるとともに、右と同趣旨の文章を職員通用口掲示板に掲示した。

6 しかし北見郵便局においては、現在員数一二八名中当日午前六時三〇分ないし午前九時までに出勤して勤務につかなければならない九〇名のうち五四名が午前一一時四七分ころまで最低二時間四七分、最高三時間四八分、平均三時間一九分欠務したほか、当日就労の意思を明示した全郵政労働組合(以下「全郵政」という。)の組合員ら二六名が就労しようとしたのに対し、北見支部組合員及び支援労働組合員ら約二五〇名が強力なピケを張り、実力を用いてその入局を阻止し続けたため、就労者は午前八時五二分ころまで入局できなかつた。

(二)  本件ストライキが業務に及ぼした影響

左記1、2の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

1 札幌郵便局長及び札幌郵政監察局長は、二四日のストライキ当日その所属職員を北見郵便局に派遣する一方、北見郵便局においても同局局長は近隣の特定局長ら一七名に対し、業務応援を求め、その正常な運営の確保に務めた。

2 しかし、右の措置にもかかわらず、以下に述べるような業務の支障が生じ、国民生活に多大の影響を与えた。

なお、右の派遣職員らは、それぞれ所要の業務を分担したため、その分だけ業務支障は顕在化しなかつたが、右人員によつて確保された業務の量は、本来「半日スト」によつて国民に打撃を与えたものというべきである。

(1) ストライキ当日就労の意思を明示していた全郵政北見支部の組合員ら二六名の勤務時間は午前八時三〇分からとされていたが、強力なピケによつて、二〇分間以上入局を阻止され、その間の労務の提供を不能ならしめた。

(2) 平常三八個所のポストを開函して郵便物の取り集めを要するところ、スト当日その約六〇パーセントに相当する二四個所のポストの開函、取り集めが半日遅れとなつた。

(3) スト当日配達すべき通常郵便物(普通郵便)は約一万九〇〇〇通であつたが、そのうち約三五〇〇通は作業未着手となるとともに、約一万五〇〇〇通が半日遅れて配達に持ち出されたものの、四〇パーセントに相当する六〇〇〇通が配達されずに持ち戻りとなり前記三五〇〇通の郵便物と合わせ約九五〇〇通が翌日以降に繰り越され、その回復には二日間を要した。

(4) 他局から送付され到達した八八個の郵袋のうち小包郵便物在中の郵袋二五個が開被できず、当日の所定配達作業工程に組み入れることができなかつたものを含め小包郵便物二三四個の配達が不能となり、その回復には二日間を要した。

(5) 北見郵便局から他局あてに区分けして送付すべき小包郵便物(普通小包)一九六個が所定の便で送付することができず、半日から一日遅れとなつた。

(6) 貯金業務については、定額貯金募集額が平日の半分程度の六三万六〇〇〇円に止まり、また積立貯金の集金不能が平常の1.6倍の二〇七件に達した。

(7) 簡易保険業務については、簡易保険募集額が平日の二三パーセントの二六八〇円に止まつた。

(三)  本件ストライキの前日からストライキ当日にかけての全逓組合員らの動向

1 〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

全逓は単一組織の労働組合であつて、中央本部、地方本部、支部、分会で構成されているが、四月当時の北海道地方の全逓組織は、北海道地方本部の下に、函館、小樽、札幌、日胆、空知、旭川、稚内、北見、十勝、釧路の十地方支部が設けられており、北見地方支部の下には、北見、網走、美幌、紋別、遠軽等の地方ブロツク別に分会が設置され、北見分会の下には更に班が設置されていた。北見支部の執行委員長であつた被控訴人後藤は、北見地方支部を代表し、組合業務を統括する権限を有するものであるが、二三日全逓中央委員長宝樹文彦から、「二四日半日ストライキに突入せよ」との指令第二三号を受け取つたので、同委員長に指令どおり「ストライキに突入する」旨の電話をするとともに、北見地方支部の組合役員に対し、二四日は半日ストに突入する旨伝達した。

2 〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

二三日午後四時ころから、釧路、十勝方面の全逓組合員約四〇名がストライキ支援のため、ストライキ拠点局である北見郵便局に結集してきた。そして午後四時三〇分ころから、同局庁舎二階の局長室前廊下において約一〇〇名位の全逓の組合員が座り込みをしたが、午後五時すぎから、同所においてストライキ総決起集会が開かれた。右集会は、北見支部執行委員佐藤清の司会によつて進められ、釧路、十勝方面から支援に来た全逓の組合員らが挨拶をした後、被控訴人後藤が挨拶を行つたが、被控訴人後藤は、その中で北見分会ないし北見局班におけるいわゆる第二組合たる全郵政結成の経過報告をするとともに、翌二四日のストライキには脱退せずに参加するよう激励した。その後右集会に参加した組合員らは北見便郵局庁舎二階の廊下をデモ行進をした後午後六時ころ解散した。北見郵便局勤務の全逓組合員らは翌二四日の半日ストライキに参加するため北見労働会館に宿泊したが、支援の組合員らは、管理者や全郵政の組合員らが局に入つて就労するのを妨害するため、同局職員通行門に終夜ピケを張つた。翌二四日午前六時三〇分ころ、中央執行委員加藤和夫は北見郵便局長に対し本日のストライキの責任者は自分である旨告げた。全逓の組合員らは午前七時ころから同局の構内に集つてシユプレヒコールなどをしていたが、その後職員通用門附近で約二〇〇名の組合員が参加して約三〇分間にわたりストライキ決行大会が開かれた。その後ストライキに参加する北見郵便局勤務の組合員は北見労働会館に入り、同所で集会を開いた。一方支援の組合員らはその後も職員通用門附近でピケを張つていたが、午前九時ころにはピケを解いた。その後午前一一時ころからストライキに参加した北見郵便局の全逓の組合員らは就労のため入局しはじめ、その後間もなく全員が就労した。

(四)  被控訴人後藤の本件ストライキ実践指導行為

控訴人は、被控訴人後藤が本件ストライキを実践指導したとして具体的事実を挙げて主張しているので、以下控訴人の主張に添つて、被控訴人後藤の言動について検討する。

1 本件ストライキを実施する旨の発言

〈証拠〉によると、被控訴人後藤は、二三日正午ころ、北見郵便局郵便課長安芸末男が局長室から郵便課事務室内の自席に戻る途中、同人に対し、翌二四日北見郵便局においてストライキを実施する旨の発言を行つたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

2 本件ストライキ参加者に対する激励の演説

二三日午後五時すぎころから北見郵便局庁舎二階の局長室前廊下においてストライキ総決起集会が開かれた際、被控訴人後藤が挨拶を行つたが、その中で、北見分会ないし北見局班における全郵政結成の経過を報告するとともに、ストライキ参加予定者に対し、翌二四日のストライキには脱退せずに参加するよう激励したものであることは、前記(三)の2において認定したとおりであり、右認定を左右するに足りる証拠はない。

3 ストライキ参加予定者に対する宿泊待機指示と同宿

ストライキ参加予定者が二三日北見労働会館に宿泊したことは、前記(三)の2において認定したとおりであるが、〈証拠〉を総合すると、被控訴人後藤は、北見に派遣されてきた中央執行委員加藤和夫、道本部執行委員左京二喜らと共に、同月二三日夜は、ストライキ参加者を北見労働会館に宿泊させるとともに、支援の組合員を北見市内の旅館に宿泊させ、交代で北見郵便局職員通用門に徹夜でピケを張らせることに決定し、そのように実施させたが、自らは北見便郵局庁舎内の書記局に仮眠し、翌二四日午前六時三〇分ころから北見労働会館で開催されたストライキ突入集会に参加したことが認められる。〈証拠判断略〉

4 ピケ張りの実践指導

〈証拠〉によると、被控訴人後藤は、二三日午後七時三〇分すぎころ、北見郵便局構内外に集つていた全逓の組合員約八〇名に対し、「今晩の八時から一〇時までは十勝支部が、一〇時から一二時までは釧路支部がそれぞれピケを張る。一二時からは北見局班がピケを張り明朝全郵政の者が出勤するときには全員で入局を阻止する。」旨発言し、全逓の組合員に対し、就労しようとする職員を阻止するために終夜ピケを張ることを指示したことが認められ、右認定に反する証拠はない。そして、〈証拠〉によれば、二四日の午前五時三〇分ころ、業務応援のため他局から北見郵便局に来た管理者らが北見郵便局職員通用門附近でピケ隊から入局を阻止されたことが認められ、北見支部の組合員及び支援の労働組合員ら約二五〇名が強力なピケを張り、全郵政の組合員ら二六名が就労しようとしたのに対し、実力を用いてこれを阻止し続けたため、就労者が午前八時五二分ころまで入局できなかつたものであることは前記(二)の6に判示したとおりである。また、〈証拠〉によると、被控訴人後藤は、二四日午前四時二五分ころ、道本部書記長小納谷幸一郎と連れ立つて職員通用門附近を歩いていたことが認められるが、右事実によれば、被控訴人後藤は、通用門附近のピケの状況を巡視していたものと推認することができる。

5 ストライキ参加者に対する隊列行進の誘導

〈証拠〉によると、被控訴人後藤は、二四日午前一一時二八分ころ、ストライキ参加者の宿泊、集合会場である北見労働会館から姿を見せ、同会館前において、ストライキ参加者に対し、「これから宣伝カーとともに行進する。」との号令をかけて、北見郵便局に集団登庁することを指示し、右組合員らを四列縦隊に整列させるとともに、自ら隊列の先頭に立つて北見郵便局までストライキ参加者の行進、登庁を誘導したことが認められる。

6 ジグザグ行進の指導と実践

被控訴人後藤は、二四日午前一一時三八分ころ、北見郵便局構内において、前記加藤中央執行委員、小納谷道本部執行委員、原口北見支部書記長とスクラムを組み、約八〇名の組合員らの先頭に立つてジグザグデモを行つたことは当事者間に争いない。

7 集会の際のシユプレヒコールの音頭

被控訴人後藤は、二四日午前一一時四〇分ころから、北見郵便局構内において約八〇名の組合員による集会が開かれた際、「団結、頑張ろう。」のシユプレヒコールの音頭をとり組合員らをこれに唱和させたことは当事者間に争いがない。

(五)  本件ストライキの評価

前述のとおり、本件ストライキは、全逓中央執行委員長の指令第二三号に基づいて、全逓北見地方支部が組合員の賃金引き上げ、勤務時間短縮等の要求を実現するための手段として実施されたものであり、組合員の経済的地位の向上をめざしたものであつたから、その目的においてみるかぎり、とかく非難されるべきではないといえる。

しかしながら、その手段、態様等をみるに、本件ストライキの内容は、北見郵便局において、二四日に勤務すべき職員九〇名のうち半数を超える五四名が午前六時ないし午前九時の就業すべき時から午前一一時四七分ころの間まで、最低二時間四七分、最高三時間四八分、平均三時間一九分にわたつて欠務するとともに、ストライキによる業務阻害の効果を確保するため、北見支部の組合員や支援の組合員を動員して、北見郵便局職員通用門附近にピケを張り、業務応援のため他局から入局を試みた応援管理者の通行を実力でもつて、阻止し、かつストライキ当日就労のため入局を試みた全郵政の組合員ら二六名の通行を約二〇分間実力をもつて阻止するというものであつて、本件ストライキの結果、北見郵便局では、約六〇パーセントの郵便物の取り集めが半日遅れたほか、約九〇〇〇通の郵便物と小包二三四個の配達が遅れ、定額貯金、簡易保険の募集業務が停滞するなどして、北見郵便局の業務に重大な支障を与えたものである。

そうだとすると、本件ストライキは、公労法一七条第一項に禁止する同盟罷業(いわゆる時限スト)に該当するものといわなければならず、本件ストライキによる業務阻害の効果を確保するため、ピケツトを張り、応援管理者や就労せんとする全郵政の組合員らの入局を実力をもつて阻止した行為は、争議に際し、違法な手段、方法によつて正常な郵政業務の執行を阻害するものであるから、それ自体公労法一七条第一項前段のいう公共企業体たる北見郵便局の業務の正常な運営を阻害する行為に該当するものといわざるを得ない(なお、公共企業体等の職員につき争議行為を禁止した公労法一七条第一項の規定は憲法二八条に違反するものではないと解するのが相当である。最高裁昭和五二年五月四日大法廷判決・刑集三一巻三号一八二頁参照)。

(六)  被控訴人後藤の言動の評価

公務員は、公共の利益のために勤務するものであり、公務の円滑な運営のためには、その分担する職務の別なく、それぞれの職場においてその職責を果すことが必要であつて、公務員が争議行為に及ぶことは、その地位の特殊性と職務の公共性と相容れないばかりでなく、多かれ少なかれ公務の停廃をもたらし、広く国民全体の共同利益に重大な障害をもたらす虞れがあるから、公労法一七条一項は、「職員及び組合は、公共企業体等に対して同盟罷業、怠業、その他業務の正常な運営を阻害する一切の行為をすることができない。又職員並びに組合の組合員及び役員は、このような禁止された行為を共謀し、そそのかし、若しくはあおつてはならない。」と規定し、争議行為を禁止した。ところで、争議行為そのものの原動力となる「あおり」、「そそのかし」などの指導的行為は、争議行為の開始ないしその遂行の原因を作るものとして、同盟罷業、怠業、その他単なる労務不提供のような不作為を内容とする争議行為に比し、その反社会性、反規範性が強大であるから、その違反に対しては、単なる争議参加者に比べて重い責任を負わせられてもやむを得ないものと解するのが相当である。なお、公労法一七条一項後段にいう「共謀」とは、二人以上の者が同法一項前段に定める違法行為を行なうため、共同意思のもとに、一体となつて互いに他人の行為を利用し、各自の意思を実行に移すことを内容とする謀議をすることをいい、「そそのかし」とは、同法一項前段に定める違法行為を実行させる目的をもつて、他人に対し、その行為を実行する決意を新たに生じさせるに足りる慫慂行為をすることをいい、「あおり」とは、右の目的をもつて、他人に対し、その行為を実行する決意を生じさせるような、またはすでに生じている決意を助長させるような勢のある刺激を与えることをいうものと解するのが相当である。

そこで被控訴人後藤が本件ストライキそのものの原動力となるような指導的行為をしたか否かについて検討する。

1 ストライキに突入する旨の連絡行為

被控訴人後藤が、全逓中央執行委員長からの指令第二三号に対し、「ストライキに突入する。」旨の連絡をしたことは前判示のとおりである。

また、〈証拠〉を総合すると、全逓は、第二三回の全国戦術委員会において、ストライキの参加人員、局数、時間のみならず、ストライキの具体的方法、すなわち具体的方式、対象者、除外者、集会等の実施、ピケの要否、応援要請の要否、ストライキ終了後の就労等についての実施要綱を決定したが、その戦術を行使する指令権は、中央本部、中央執行委員会に一任することにしたこと、中央執行委員長は、一六日道本部に対し、二四日にストライキに突入しうる体制を確立するとともに、中央、地方公労協が展開する各種大衆行動に積極的に参加することを指示したスト準備指令を発したこと、右スト準備指令を受けた道本部は、執行委員会を開催し、道内の各支部の組合員数、これまでの処分者の有無、人数、組織の強弱等を考慮して北見郵便局をストライキ実施拠点に選定し、そのことを中央本部に電話連絡するとともに、北見支部に対してもストライキ拠点に決定する旨連絡したこと、道本部では、北見郵便局がストライキ拠点に決定した後、間もなく、左京二喜執行委員を北見郵便局に派遣するとともに、引続いて小納谷幸一郎書記長をも北見郵便局に派遣し、北見においてストライキ実施の準備、すなわち、集会の場所の選定、ストライキ実施局以外からの応援要請などを決定したこと、二三日中央執行委員長からストライキに突入せよとの指令第二三号が発令されたこと、がそれぞれ認められるが、被控訴人後藤が本件ストライキの実施ないし具体的戦術を決定した全逓戦術委員会、中央執行委員会、道本部執行委員会に出席し、本件ストライキの実施、戦術等につき協議し、企画し、これを決定したと認めるに足りる確しかな証拠はない。

そうだとすれば、被控訴人後藤の前記連絡行為は、中央本部から本件ストライキに突入せよとの指令を受けたことについて、これを了知し、その指令どおり本件ストライキに突入する旨を報告したにすぎないものであつて、これをもつて、本件ストライキの実施を共謀したものと解することができない。

もつとも、本件の如きストライキを実施する場合には、拠点である北見支部の意向を無視して全逓中央本部や道本部だけで決定しこれを実施するというようなことは組織の性格上通常あり得ないことであるから、本件ストライキの実施の協議、決定について被控訴人後藤が何らかの形で参画したものと考えられなくはないが、これを認めるに足りる確たる証拠はない。

2 ストライキ実施指令の伝達行為

被控訴人後藤が、ストライキ実施指令を組合役員に伝達したことは前判示のとおりであるが、前記1に説示した本件ストライキが実施されるに至つた経緯に鑑みれば、右伝達行為をもつて、本件ストライキをあおり、そそのかしたものと認めることはできない。

3 本件ストライキを実施する旨の発言

被控訴人後藤が安芸末男郵便課長に対し、二四日にはストライキを実施する旨の発言をしたことは前判示のとおりであるが、この発言がなされた際、被控訴人後藤の周囲に全逓の組合員が多数集つて右発言を聞いていたと認めるに足りる証拠はないから、この発言は、管理者に対し二四日にストライキを実施することの決意を表明したものにすぎないものというべく、この発言をもつて、全逓の組合員に対し、本件ストライキをあおり、そそのかしたと認めることはできない。

4 本件ストライキ参加者に対する激励の演説

被控訴人後藤がストライキ総決起大会の席上、全逓の組合員に対し、本件ストライキ実施について激励演説を行つたことは前判示のとおりであるが、そもそも、ストライキ総決起大会自体ストライキ参加予定者のストライキ参加意思を鼓舞し、その闘争意思を堅固にするための目的で開催されるものであるし、被控訴人後藤の右演説は、ストライキ参加予定者の志気を昂揚、鼓舞し、参加意思を強固にするためのものであつたことが明らかであるから、被控訴人後藤の右激励演説は本件ストライキをあおり、そそのかしたことに該当するものといわざるを得ない。

5 ストライキ参加予定者に対する宿泊待機指示と同宿

被控訴人後藤は、ストライキ参加予定者を北見労働会館に宿泊させたことは前判示のとおりであるが、右事実をもつて、本件ストライキを共謀し、あおり、そそのかしたと認めることはできない。

6 ピケ張りの実践、指導

被控訴人後藤は、全逓の組合員に対し二三日夜から翌二四日の朝まで終夜職員通行門にピケを張り、実力で入局者を阻止することを指示したことは前判示のとおりであるが、右ピケ張りの指示は、郵便業務の正常な運営を阻害する行為をあおり、そそのかしたものと認めるのが相当である。

7 ストライキ参加者に対する隊列行進の誘導

被控訴人後藤がストライキ参加者に号令をかけて集団登庁を指示し、右参加者を四列縦隊に整列させ、自らその先頭に立つて誘導したことは前判示のとおりであるが、右指示は、ストライキ参加者に対して違法な集団登庁を指示し、被控訴人後藤の指導下に入るよう命ずるとともに、被控訴人後藤自ら隊列の先頭に立つて行進したというのであるから、本件ストライキをそそのかしたことに該当する。

8 ジグザグデモ行進の指導と実践

被控訴人後藤は、北見郵便局構内においてデモ隊の先頭に立つてジグザグデモを行つたことは前判示のとおりであるが、右は、本件ストライキないし構内で業務の正常な運営を阻害する行為をあおつたことに該当する。

9 集会の際のシユプレヒコールの音頭

被控訴人が集会の際シユプレヒコールの音頭をとつたことは前判示のとおりであるが、右行為は、組合員の団結力を管理者に誇示するとともに、本件ストライキに参加した全逓の組合員らの志気を鼓舞するものであるから、本件ストライキをあおつたことに該当する。

(七)  被控訴人後藤の責任の総合的評価

前記(五)と(六)に判示したところによれば、被控訴人後藤は、ストライキ参加者に対して激励の演説をし、ピケ張りを指示し、集団登庁を指示し、ジグザグ行進の先頭に立つて行動するなどしたことは明らかであるから、同被控訴人は、明らかに公労法一七条一項前段に禁止する同盟罷業その他業務の正常な運営を阻害する行為をあおりそそのかして争議行為そのものの原動力となる指導的行為を行つた者として問責されるを免れ得ないものというべきである。

而して本件ストライキをあおり、そそのかして争議行為そのものの原動力となる指導的行為を行つた被控訴人後藤は、国の経営する郵政事業に勤務する職員として、その官職の信用を傷つけ、または官職全体の不名誉となるような行為をしたものというべく、従つて被控訴人後藤は、右各行為により国公法九九条に違反し、同法八二条一号、三号に該当するものといわなければならない。

この点について被控訴人後藤は、本件ストライキは直接的には全逓中央執行委貫長の指令第二三号に基づいて全国統一闘争として行われたものであり、その闘争方法等についても全国戦術委員会で全逓自身決定したものであり、更に、具体的には中央委員会のスト指令によつて北見支部の執行権が停止され、中央執行委員会が指名する実施責任者のみがストライキ実施の一切の権限と責任を有し、被控訴人後藤は、単に右指令や実施責任者の指示により一組合員として当然なすべきことをなしたままであつて、何ら本件ストライキをあおり、そそのかしたものではない旨主張する。

しかしながら、本件のストライキは、公労法一七条一項前段の禁止する同盟罷業その他業務の正常な運営を阻害する行為であることは前判示のとおりであるから、中央執行委員長の指令二三号が違法な行為の指令であつたことは明白であるというべく、従つて全逓の組合員としては法的にかかる指令に従う義務はなく、またこれに従うべきでもないから、本件ストライキが全国統一闘争として全逓組合の決議に基づき組合の意思として行われたものであるとしても、これに参加し、これを積極的に推進し、指導し、もしくは拠点指定を受けた局所において、具体的な実力行使を指示し、組合員を鼓舞した拠点局の支部組合の委員長が違法行為者としての個人責任を免れるものではないというべく、ただ上部機関の指令に基づいたことにより、その違法行為の責任の程度に評価の軽重の差が生ずるにすぎない。本件ストライキの実施にあたり加藤中央執行委員が中央執行委員会から闘争の最高指導責任者として北見郵便局に派遣され、また小納谷道本部書記長、左京道本部執行委員が道本部からいわゆるオルグとして北見郵便局に派遣されていたことは前認定のとおりであり、〈証拠〉によれば、中央執行委員長から本件ストライキ突入指令が発せられると同時にストライキ拠点支部である北見地方支部の支部執行権がストライキ終了まで停止され、支部組合員は別途中央委員会が指名する上部機関役員の指示に従い一切の行動を行うべき旨の指令も発せられたことが認められるから、被控訴人後藤としては、組合としての全逓の統制力に拘束され、中央委員会から派遣された闘争指導者の指示が違法なものである限り、これに従わなければならなかつたものと考えられることはいうまでもないが、本件ストライキの突入を指令した指令二三号の如きは、前述のとおり本来公労法によつて禁止されている違法行為の実行を命ずるものであるから、それがいかに全逓の統一的意思として全国戦術委員会、中央委員会等の決議に基づいて発せられたものであつたとしても、右決議自体が違法なものである以上、右指令二三号も違法であつて、全逓組合員に対して何らの法的拘束力を有しないばかりが、全逓の組合員としては、これに服従すべきでないものであり、従つて中央委員会から派遣された闘争指導者の指示が指令二三号の実行を命ずるものである限り被控訴人後藤としては、これに服従すべきではなく、寧ろかかる違法な行為の実現を阻止すべき義務があつたといわなければならない。しかるに同被控訴人は、これに反して、前判示のとおり、積極的に組合員をあおり、そそのかしたものであるから、責任の軽重は別としてその責任を免れるわけにはいかないものというべきである。

二被控訴人後藤の全逓旗等の掲出と撤去妨害行為の責任

(一)  全逓旗等の掲出と撤去妨害行為

1 二六日、全逓側が北見郵便局職員通用門附近に全逓旗、別紙(三)記載のような横断幕及び(四)記載のような立看板を掲出したこと、管理者側がその撤去作業をしたこと、は当事者間に争いがない。

2 〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

二六日全逓側が、北見郵便局の庁舎管理者である同郵便局長の許可を受けることなく、北見郵便局職員通用門の両側の鉄柵に全逓旗を各二本ずつ計四本、門扉のところに前記の立看板を一枚立て、道路から向つて通用門の右側にある図書室前の鉄柵に前記横断幕を二枚張つた。そこで同郵便局長原田勇は同日午後三時ころ、管理者全員を局長室に集めて全逓側が職員通用門附近に掲出している前記全逓旗等を撤去するよう指示し、その方法として先ず組合側に自主的に撤去することを通告し、それに応じないときは当局側で撤去することにするが、管理者側はできるだけ多人数で短時間のうちにできるだけトラブルをすくなくして撤去作業を終えるように命じた。そこで、同郵便局庶務会計課長本間良三は、同日午後三時三〇分ころ、庁舎内にある組合書記局に赴き、被控訴人後藤に対し、前記全逓旗等を直ちに撤去するように命じたが、被控訴人後藤は、「外すわけにはいかない。」といつてこれを拒否した。そこで、右本間課長は、被控訴人後藤に対して、「それでは当局の方で外す。」といつたところ、被控訴人後藤は、「外せるものなら外してみろ。」といつた。右本間課長は、被控訴人後藤の右のような態度からみて組合側が自主的に前記全逓旗等を撤去することはありえないと考え、当局側でこれを撤去しようと判断した。そこで、本間課長は、直ちに右通用門の鉄柵附近に行き、道路から向つて右側の横断幕のひもの結び目を解くなどしてその撤去作業を始めたところ、被控訴人後藤と全逓北見支部の原口書記長がかけつけて本間課長に対し「何をするんだ。」といつて体を押しつけ、結び目を解くのを妨害するとともに、右本間課長が解いたひもを再び結びつけたりして、右横断幕の撤去作業を妨害した。その後間もなく、同郵便局郵便課長安芸末男が局長室にいた他の管理職数名とともに本間課長の許にかけつけ右横断幕の撤去作業に加つた。ところが、この様子をみていた組合員ら四〜五名が被控訴人後藤の許にかけつけ、被控訴人後藤らとともに、管理者が撤去しようとしている幕や旗竿のところに背中や腹を押しつけ、これを妨害したほか、同郵便局郵便課長石黒保二が道路から向つて右側の鉄柵に立てられた二本の全逓旗の中右側の一本を撤去しようとしたところ、被控訴人後藤が右石黒保二の肩越しに旗竿を堅くつかみこれが撤去されないように妨害した。しかし、管理者側は、約三〇分かかつて、全逓旗一本を残し、その余の前記掲出物を全部撤去した。

3 〈証拠〉中には、被控訴人後藤が故意に右石黒保二の右背中に右腕をかけて引つぱり暴力を揮つた旨の記載、供述がみられるが、右記載内容や供述は、前掲その余の証拠に照らしてたやすく措信し難く、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(二)  全逓旗撤去妨害行為の責任

郵便局の庁舎は国の行政財産で郵政大臣が管理するものである(国有財産法三条、五条)。そこで、郵政省設置法四条は「郵政省はこの法律に規定する所掌事務を遂行するため、左に掲げる権限を有する。」と定め、その二号において「法令の定めるところに従い、所掌事務の遂行に必要な業務施設・研究施設等を設置し、及び管理すること。」と規定している。これを受けて、郵政省の組織に属する行政機関において遂行する事業、行政事務の用に供する庁舎、土地およびその他の設備(以下「庁舎など」という。)の適正な管理を行なうことを目的として庁舎などの取締りに関し必要な事項を定めることにより、庁舎などにおける秩序の維持などを図るため郵政省庁舎管理規程がもうけられ、同規程二条において右の責任者として郵便局にあつては当該郵便局長を庁舎管理者と定めているから、北見郵便局の庁舎管理者は同郵便局長である。そして、同規程によると、庁舎管理者の許可なく広告物またはビラ、ポスター、旗、幕その他これに類するものを掲示、掲揚または掲出したときは、その撤去を命じ、これに応じないときは庁舎管理者はみずから撤去することができる旨規定されている(六条、一二条)。

そこで、本件についてみるに前記全逓旗、横断幕及び立看板はいずれも北見郵便局長の許可を得ないで掲出されたものであり、被控訴人後藤はその撤去命令に従わなかつたのであるから、同局長はみずからこれを撤去することができるわけであつて管理職らが同局長の指示に従つてこれを撤去しようとした行為はもとより正当な職務行為であるといわなければならない。そして、原審証人安芸末男の証言によると、全逓側は本件以前にも四月上旬以来数回にわたつて同局長の許可を得ないで北見郵便局の庁舎などにおいて全逓旗を掲出したことがあり、その都度本間課長が組合に警告を発し、また撤去命令に従わない場合はこれをみずから撤去したうえ、再び掲出しないよう注意をして組合に返還するということを繰り返していたことが認められる。

右認定の事実に前記各規定の趣旨をも合せ考えると、被控訴人後藤が管理側のなす正当な前記全逓旗等の撤去作業を妨害した行為は、国の経営する郵政事業に勤務する職員として、その官職の信用を傷つけ、または官職全体の不名誉となるような行為をしたものというべく、従つて、被控訴人後藤は、右妨害行為により、国公法九九条に違反し、同法八二条一号、三号に該当するものといわざるを得ない。

なお、被控訴人後藤は、控訴人が本件において前判示の旗竿撤去の状況を問題にするのは不当であると主張するものの如くなので、念のため、これについて案ずるに、〈証拠〉によれば、被控訴人後藤に対する本件免職処分の際に、控訴人が同被控訴人に交付した処分事由説明書には「北見国興部郵便局勤務のものであるが、全逓信労働組合北見地方支部執行委員長の役職に従事中のところ、さきに懲戒処分に付せられ、将来を厳重に戒められていたにもかかわらず、同地方支部執行委員長として、同組合中央本部の発出した違法なストライキ実施指令にもとづき、昭和四四年四月二四日北見郵便局において、半日ストライキを実施し、多数の組合員をこれに参加せしめ、自らも同局に赴き、これを実践指導する等したほか、同月六日多数の組合員を指揮して、同局管理者の再三にわたる解散命令、退去命令に従わず、同局庁舎内において示威行進を行ない、そのさい、解散命令、退去命令を発していた同局管理者の背後から、他の組合員とともに左右からその腕を抱え込んで強引に示威行進に引きずり込み、行進途中において、急に同管理者を突き離し転倒させ、加療約三週間を要する左右関節内骨折の傷害を負わせる等し、著しく職場の秩序をびん乱したものである。」と記載されているのみであつて、同被控訴人が北見郵便局職員通用門附近に全逓旗等を掲出したことや管理側の全逓旗等の撤去行為を妨害したことは右処分説明書に明記されていないことが認められるが、国公法八九条一項が「……処分を行う者は、その職員に対し、その処分の際、処分の事由を記載した説明書を交付しなければならない。」旨規定した趣旨は、処分された職員に対して当該処分の理由を知らしめ、その処分について不服がある場合、人事院に対して審査請求をするなどの不服申立の機会を与えることによつて、その職員の身分を保障し、あわせて処分の公正を維持しようとするものであるから、処分者が処分の際処分対象事実と認識し、評価した処分理由は、少くとも前記の処分説明書交付の趣旨を失わしめない程度において、処分説明書に記載することを要し、従つて、人事院の審査ないし処分取消訴訟において、処分理由としてとりあげることのできる事実は、処分説明書の記載から読みとることができる事実と基本的事実関係において同一性を有する範囲の事実に限られるべきものと解するのが相当のところ、前判示の全逓旗等の掲出や全逓旗等の撤去妨害行為は、後記三の(一)に認定する、北見郵便局の管理者に対する被控訴人後藤の暴力行為(これは前示処分説明書に明記されている。)の背景をなすものであつて、両者は密接な関連があり、基本的に同一の事実関係にあるものと認めるを相当とするから、前判示の全逓旗等の掲出や全逓旗等の撤去妨害行為を処分事由として取りあげ本件免職処分の適否を判断する際の資料とすることは許されるものと認めるのが相当である。従つて被控訴人後藤の前記主張は失当である。

三被控訴人後藤の本間課長に対する傷害責任

(一)  本間課長に対する傷害行為

1 〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

二六日全逓側が局長の許可を受けないで掲出した全逓旗等は、組合員の妨害があつたものの、旗一本を残して管理職によつて撤去されたことは前認定のとおりであるが、その際、撤去作業に加つた郵便課長代理釘本佐賀男が旗竿一本を破損してしまつた。その後同日午後五時すぎころ、北見支部執行委員佐藤清が、北見郵便局庁舎二階庶務会計課事務室に来て折つた旗竿を弁償するように申入れてきたが、それに続いて北見分会執行委員三国秀男が一五〜六名の組合員とともに同室に来て、管理者が自分の車のバツクミラーをこわしたので弁償するよう申入れてきた。その後間もなく被控訴人後藤も同室にあらわれ、本間課長に対し、こわした旗竿を弁償せよとか局長に面会させるように要求した。そのころには、同室には、約三〇名の組合員が集まつていたが、本間課長が被控訴人後藤らの要求を受け容れなかつたため、騒然となつた。そこで、本間課長は右騒ぎを鎮めるため、被控訴人後藤らの要求に譲歩を示し、管理者側と組合側各二名ずつで話合うことを提案したところ、組合側がこれに応じたので、同室に管理者側は本間課長と貯金課長堀富雄が組合側は右佐藤清と全逓北見郵便局班長泉和夫が残り、他の組合員は同室から出て同室前の廊下に座り込んで交渉の行方を見守り、他の管理者は局長室に退いた。管理者側と組合側の右話し合いの結果、全逓旗、横断幕等については再度掲出しないということを条件に返還するということでまとまつたが、折つた旗竿の弁償の件は管理者側が旗竿を折つたことはないとして組合側の主張を否定したため、話し合いがつかないまま、同日午後六時四〇分頃話し合いを終了した。右佐藤清は、右話し合いが終了後、同室から出て、廊下に座り込んで待機していた組合員に対し話し合いの模様を説明した。右佐藤清の説明が終ると、「本日はこれでやめよう。」という組合員の声も聞えたが、被控訴人後藤は、「こんななまるいことではだめだ。あしたの朝まで座り込むぞ。」「釘本出て来い。腹黒出て来い。」とシユプレヒコールの音頭をとつたうえ、組合員に対し庁内デモを行うよう指示したので、組合員約三〇名が庁内デモを行うため、同局二階食堂の方に向つて隊列を組みはじめた。一方、そのころ、郵便課長安芸末男が札幌郵政局に郵便業務運行状況を電話で報告していたが、廊下にある局長室の電燈スイツチが組合員によつて切られ、局長室が暗がりになつた。そこで局長室にいた本間課長は、廊下に出て、右電燈スイツチを入れた。本間課長は、このとき廊下にいた組合員が隊列を組みデモに入ろうとしていたのを目撃したので、デモ隊の先頭方向を向いてデモ隊に対し、違法な庁内デモは認めないから、直ちに解散して退去するよう二度にわたつて退去命令を発した。そして、右の二度目の退去命令を発し終るか終らないうちに、本間課長は、氏名不詳の組合員に右腕を抱え込まれ、デモ隊の前から三列ないし四列目の中に引き込まれたが、すぐその直後デモ隊に加つた被控訴人後藤に後から左腕を抱えられたため、左右両腕を二人に抱え込まれることになつた。本間課長は、右のようにして、デモ隊に無理矢理引き込まれたので、「離せ離せ」、「やめろやめろ」といつて両腕を離すよう命令したが、全然聞き入れらず、両腕を抱えられたまま、デモ隊の中に入つて行進させられた。デモ隊は、食堂と監察事務室との角で右折し、会議室まで進み、更に同所でUターンして進み、右食堂と監察事務室との角で左折し、庶務会計事務室に戻つてきたが、その間、本間課長は、デモ隊の進行に抵抗するため、両足を突つ張つて前に出し、上体を後に反らしていた。デモ隊が庶務会計課事務室附近に戻つてきた際、本間課長の左腕を抱えていた被控訴人後藤と右腕を抱えていた他の組合員は、同時に本間課長を前に振り出すようにして突き放した。そこで、本間課長は、前かがみになつたまま約一メートル位廊下を滑つて尻餅をついたが、左足首関節の外側を床に強打し、その結果治療約二七日を要する左足関節捻挫(足関節内出血)の傷害を負つた。

2 原審及び当審証人本間良三は、自分の右腕を抱えてデモ隊に引き込んだのは被控訴人後藤であり、被控訴人後藤に右腕を抱えられままデモ隊の中に入つて行進させられた後振り出すようにして突き放された旨証言し、原審証人山下真一も右と同趣旨の証言をしている。しかしながら、先ず、〈証拠〉によると、本間課長は、二六日の事故当日北見警察署に被控訴人後藤を傷害罪で告訴し、同警察署の警察官から負傷を負つたときの事情聴取を受けた際、被控訴人後藤には左腕を抱えられた旨供述したが、その後の検察庁での事情聴取の際には被控訴人後藤には右腕を抱えられた旨供述するなど、その証言内容に首尾一貫しない点があるので、右本間良三証人の前記証言はたやすく信用し難く、またこれと同趣旨を記載した本間良三作成の現認書の記載内容も同様に信用し難い。次に、原審証人山下真一は、廊下の方を振返つて見たとき、本間課長が被控訴人後藤に右腕を抱えられながら行進する姿をみたが本間課長の左腕を抱えていた人はよくみなかつたと証言するが、デモ隊を面前で目撃しながら、被控訴人後藤が本間課長の右腕を抱えていたことのみを鮮明に記憶しているというのは不自然であつて、右証言は本間良三の前記証言と符合するようになされた節があり、たやすく措信し得ない。

また、被控訴人後藤は、原審及び当審において、本間課長が負傷したときの状況について、デモ隊がとまつたので、本間課長を抱えている腕を解いて静かに隊列から出してやつたところ、本間課長は三歩位歩いたところでしやがみこんだ旨供述し、原審証人杉田修、同藤田央も右と同趣旨の証言をする。しかしながら、北見郵便局では、二四日に違法なストライキが実施され、更に二六日の午後には組合側が掲出した全逓旗等の撤去をめぐつて労使間にトラブルが発生し、全逓旗の返還と旗ざおの弁償を求める組合側と管理者側の話し合いが決裂し、これに立腹した組合員が抗議のためあえて庁内デモを行つたことは前認定のとおりであり、組合側と管理者側との間は極度の対立緊張状態にあつたとみられるから、あえて抗議デモに引き込んで行進させた本間課長を怪我させないように丁重に遇するなどということは極めて不自然であるし、本間課長の前記傷害は、被控訴人後藤が供述するように本間課長自ら三歩位歩いてしやがみこんだというだけで生じたものとは到底考えられないから、前記被控訴人後藤の供述、証人杉田修、同藤田央の各証言は、いずれも措信することができない。

(二)  傷害行為に対する責任

前記(一)の1に判示したところによれば、被控訴人後藤は、組合員に対し庁内デモに入るよう指示し、組合員がデモ隊に引き込んだ本間課長の左腕を抱えでデモ隊と一緒に行進させ、デモ隊がとまろうとした際、本間課長を振り出すように突き放した結果、本間課長に前記のような傷害を負わせたものであることが明らかである。そうだとすれば、仮令、右の傷害行為が、全逓旗等の返還と旗竿の弁償を求めた組合側の要求が容れられなかつたことに対する抗議デモの行進中に行われたものであるとしても、組合の当局に対する抗議の表現を行い、あわせて組合員の士気ないし闘志を鼓舞昂揚するため、郵政職員の職務執行の場である局舎内で集団示威行進を行うこと自体常軌を逸した所為というほかなく、管理者から二度にわたつて解散退去命令が発せられたにもかかわらず、これを無視したばかりか、デモ隊に引き込んだ本間課長をデモ隊と一緒に無理矢理に行進させ、前記のとおり傷害を負わせたものであるから、国の経営する郵政事業に勤務する職員として、その官職の信用を傷つけ、または官職全体の不名誉となるような行為をしたものというべく、従つて、被控訴人後藤は、右行為により国公法九九条に違反し、同法八二条一号、三号に該当するものといわなければならない。

四不当労働行為該当の有無

被控訴人後藤は、本件免職処分は、同被控訴人の全逓組合員としての活発な組合活動を嫌悪してなされたものであり、これは組合分裂工作の延長線上にあり、全逓の弱体化を図つたものであつて不当労働行為である旨主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。被控訴人後藤につき、懲戒事由該当の非違行為の存在したことは、先に詳細に認定したとおりであり、これと弁論の全趣旨(殊に被控訴人らが別紙(二)の第三のような主張をしていること。)によれば、被控訴人後藤に対して本件免職処分がなされた決定的な理由は、同被控訴人が前判示の非為行為に出たことにあつたものと認められるから、本件免職処分についていわゆる不当労働行為の成立する余地はないものといわざるを得ない。

よつて、被控訴人後藤の、右不当労働行為の主張は失当である。

五懲戒権の濫用の有無

被控訴人後藤は、本件免職処分は懲戒権を濫用したものである旨主張するので、案ずるに、国家公務員に対する懲戒処分は、国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務することをその本質的な内容とする勤務関係の見地において、公務員としてふさわしくない非行がある場合に、その責任を確認し、公務員関係の秩序を維持するために科する制裁であり、国家公務員につき、国公法に定められた懲戒事由がある場合に、懲戒処分を行うかどうか、懲戒処分を行うときにいかなる処分を選ぶかは、懲戒権者の裁量に任されているものと解すべきであるから、懲戒権者が裁量権の行使としてした懲戒処分は、それが社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し、これを濫用したと認められない限り、その裁量権の範囲内にあるものとして違法とならないものというべきである(最高裁昭和五二年一二月二〇日第三小法廷判決・民集三一巻七号一一〇一頁、同昭和五三年七月一八日第三小法廷判決・判例時報九〇六号一九頁参照)。

そこで、右の観点に立つて本件をみるに、〈証拠〉を合わせると、被控訴人後藤は、昭和一六年四月逓信省に奉職して以来、全逓においては昭和二二年一〇月に全逓稚内支部青年部長、昭和三四年八月に全逓北見支部執行委員、昭和三八年七月に全逓北見支部執行委員長に就任していたものであり、昭和三八年四月には北見郵便局において勤務時間に食い込む違法な職場大会を実践指導したことを理由として停職一か月の懲戒処分を受け、将来を厳重に戒められていたことが認められるところ、それにもかかわらず、前記認定のような非違行為を行つたものであつて、被控訴人後藤の右非違行為の性質、態様、情状及び処分歴等の諸事情を総合すれば、懲戒免職処分の選択に当つては特に慎重な配慮を要することを考慮したとしても、本件免職処分が社会通念上著しく妥当を欠くものとまではいえず、他にこれを認めるに足りる事情も見当らない。そうだとすると、本件免職処分が懲戒権者である札幌郵政局長に任された裁量権の範囲を超え同局長がこれを濫用してなした違法なものとすることはできない。

よつて、被控訴人後藤の、右懲戒権濫用の主張は失当である。

六結論

以上のとおりであるから、被控訴人後藤に対する本件免職処分にはこれを取消すべき違法の点はなく、その取消を求める被控訴人後藤の本訴請求は、失当であつて棄却を免れないものである。〈以下、省略〉

(宮崎富哉 塩崎勤 村田達生)

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